前回の続きです。
今回はスブドが最初に有名になったきっかけについて書きます。

皆さんは、エヴァ・バルトークというハンガリー出身の1950年代から活躍していた女優さんをご存知でしょうか?たぶん、もはや大多数の人は知らないと思います。知っているのは今では一部のコアなハリウッド映画ファンのみかもしれません。出演作品は、「深紅の盗賊」、「海駆ける男」、「ダイヤモンド作戦」、「脱獄十二時間」、「モデル連続殺人!」といったところです。

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(Eva Bartok)


多くの女優さんの例にもれず、彼女は5回の結婚をしています。最初の結婚は、強制されたもので、ナチスの幹部とのものでした。最後の夫はドイツの俳優クルト・ユルゲンスです。クルト・ユルゲンスと離婚後、彼女は女児を出産します。後に彼女は、この子はフランク・シナトラとの間にできた子供であると告白しています。まあ、ゴシップはこのくらいにして、本題に入りたいと思います。

この女児の出産にまつわる話がイギリスでスブドを有名にするきっかけとなりました。経緯を以下に書いていきたいと思います。

彼女は前々からグルジェフのシステムに興味をもっており、ベネットとは友人関係にありました。

ある日、ベネットはハリウッドのエヴァから電話を受け、彼女が今重い病気で難しい手術を受ける必要があること、死の準備をしていることを告げられました。彼女は、イギリスで治療にあたることを希望していました。病気は卵巣癌であり、この時、彼女は妊娠していました。出産などは望むべくもない状態だったのです。ベネットは、彼女がスブドのラティハンを受ければ、病気が治癒するとの直感を受けたといっています。折しも、ベネットはパ・スブーをイギリスに招待しており、パ・スブーはインドネシアでその準備にあたっていました。エヴァがやがてイギリスにやってきましたが、パ・スブーはまだインドネシアにいました。医師はエヴァがすぐにでも手術の必要性があることを勧め、まずは入院することになりました。

やがて、パ・スブーと彼の妻であるイブ・イスマナをはじめとする一行がやってきました。ベネットはパ・スブーにエヴァのことを話しました。すると、パ・スブーは、しばらく静かにして内部の指示を受け言いました。「エヴァはラティハンによって神の恩寵を受け、病気は治癒するだろう」と。

イギリスに到着後、パ・スブーはすぐにはエヴァに面会しませんでした。その間、彼の妻、イブ・スマリがエヴァをオープンしました。奇しくも彼女はヨーロッパで最初にオープンされた女性会員となったのです。そして何日か後、他のイギリス会員とともにパ・スブー、イブ・スマリはエヴァの入院先に面会に行きました。そこで、皆はエヴァを囲んでラティハンをしました。このラティハンに参加した人たちは同様にエヴァの苦痛、恐怖、神への信頼などを体験したそうです。
その後、パ・スブーは、「よい鎮痛剤があったら、彼女に与えてください。これはラティハンには影響ないでしょう。もう病の峠は越えました。」と言ったと伝えられています。とはいっても、エヴァの病気がたちまちのうちに治癒したわけではありません。彼女の肉体的苦痛はいくぶん軽減されたものの相変わらず、彼女を苛んでいました。ただ、バパとラティハンをした前と後ではエヴァの表情が一変したとのことです。彼女は内的、霊的な体験をし、その後は現在おかれている状況についても、特に恐怖心を抱くことなく、淡々と話ができたということです。

そして、完全な治癒が彼女に訪れました。手術を受けることなく、腫瘍は消滅していたのです。その後、女児も無事に出産することができました。

この一連の出来事が、イギリスのタブロイド紙の老舗、Daily Mailで特集されたのです。この記事は、大きな話題を呼び、スブドはイギリス中に知られるようになりました。

やはり、マスコミの力は良くも悪くも本当に大きなものですね。

To be continued.

(文責:サイト管理者)